極大な意識と極小の意識

明けましておめでとうございます。
しばらくブログをサボっておりました。
今年に入り気持ちも新たに、足立幸子さんの著書
「あるがままに生きる」をはじめから詳しく味わって読んで行きたいと思います。

その前に、最近わたしに起こって来た意識の変化をお話したいと思います。
昨年の冬至ごろからのことです。
冬至の時は昨年一番の寒さに見舞われ、朝から農園で作業を手伝っていると冷え切ってしまい頭痛が酷くなり、家に帰ってまず熱いココアでもと思い飲んだ途端に嘔吐し、食欲も無く、すぐに寝込みました。
翌日には回復しましたが、寒い時の戸外での作業時は頭と首をしっかり防寒することという事を学びました。毎年年末に決まって胃腸の調子を崩すことが私のジンクスの一つになっており、一年の疲れが年末に出るからだと思っていましたが、新しい年に向けて浄化しているのかもしれないと、最近になり思えてきました。
数年前から冬至の季節に何らかのインスピレーションを感じるようになりました。

昨年の冬至の時に自分に来た感覚は、
「ただただ輝いている」
です。誰かからもらったメッセージというわけでもないので、ふと感じたことにすぎないのですが。輝いているのは、照らされているのでは無く、自分の中心から光輝いて周辺に広まっているイメージです。誰かのためとか、使命感もなく、ただそこにそうして在る。そのような透明な感覚が、フゲーエキンさんの意識として感じると同時に、極大の宇宙の意識としても感じられます。両方とも同じ意識なのです。全てのこだわりを無くした、嬉しいも、悲しいもない心。透き通った感覚。少し意識をそちらに向けると、そのような感覚を感じられるようになりました。とても平和です。
この感覚で、下方に見える地球を包み込んで行きます。そばに同じようにしている同士の存在も感じられます。