「自分かわいさ」について最近経験したこと〜続き

 風邪から回復し、娘も自宅へ戻ったのを機に、疲れを癒そうと一泊で1人旅をしました。

 電車の車中で、帰ったら別居の提案をするのに、口下手な私は、自分の考えの整理も兼ねて夫に手紙を書きました。

 書き終わったところで、あんなに別居したかったのに、少し落ち着いた自分がいました。

そしてふと、自分は夫に言いたい事が、もし言ったら不興を買うのが嫌で、こわくて、キチンと伝えられず我慢してしまっていたのだという事に気づきました。
結局自分が夫に対し、誠意を持って自分の意見を伝えるという事を、自分かわいさで怠っていたのだという事です。

 自分が相手の言動に違和感を覚えたり、反感の気持ちを持った時、それは事実なのでその気持ちを打ち消す事はできません。そういった気持ちを自分でしっかり自覚し、そしてそれを表現することがお互いのためになると思ったら、ちゃんと表現してもいいんだということを、取り違えていました。

 風邪を引いたのは、自分を表現しなさいという事だったと気づきました。

そこに気づいたので、具体的に私の意見や希望を正々堂々と、たとえ機嫌を損ねても、その方がスッキリするし、歩み寄れるところが全く見つからなければ、それはそれで一つの発見。スッキリお別れも出来る。
言おう!と決心し、決心すると、より良い気分になる事にも気づきました。

話し方も工夫しましたが、臆せず堂々と夫に意見を言った結果、意外にも受け入れてくれたので、私もスッキリ晴れやかな気持ちになり、別居しなきゃと思い詰めていた気持ちも治りました。
夫の存在は改めて、私の学びになっていると感じました。感謝の気持ちに溢れるところまではいかないので、まだまだ波動の低い未熟者ですが。

最近熟年離婚が大変増えているという事です。大抵、突然妻から三行半を突きつけられて面食らう夫というパターンが多いようなのですが、
妻は夫に対して不満を募らせていて、しかも長年その感情に蓋をし続けて表面上は波風立てずにやっていたのだが、それにも限界が来て絶望感が出て来て離婚。。という成りゆきだと思われます。
 妻が我慢している原因を思いやれない、気づいても行動しない夫も問題ですが、自分の気持ちを素直に表現してこなかった妻にもやはり問題があり、結局お互いさまなのです。

誤解、嫌われる、あるいはたとえ暴力を受けるという事になるかもしれないけれど、それでも自分を表現する方が、EXA PIECOの振動波に、より同調するのだと思います。

ここは、顕在意識では本当に難しい、誤解しやすい部分かと思います。