直感について〜再考

私が今研修生として通っている農園の経営をされている方は、脱サラしてこの道に入られたそうですが、朝早くから日が暮れるまで畑におられます。本人は好きでやっていると言います。そして毎朝7時に会員全員に向けてメールをくださいます。
たいていその日の畑の様子だったり所感だったりですが、時々人生で大切なことを書いてくださいます。
昨日のメール内容が、足立先生の言われる事とリンクしており、私も全く同感で、嬉しかったのでここでシェアしたいと思います。

「人生においていろいろな判断をするときに、頭で考える傾向が強い人と感覚的に決める傾向が強い人がいるように思います。
どちらが良いということではなく、自分のことについては、ケースバイケースで自分の好きに決めてもらえば良いと思います。

今の私は大抵のことは感覚的に決めていますが、大きな問題については感覚(心の声や感性)と頭(理性)の両方を使い、最後は感覚によるところが大きいです。
ライフワークを始める前のライスワーク時代には、ほとんどの決断は頭で考え、いろいろ比較しないと決められなかったように思います。

頭で考えて決断すると、情報を集めるのに時間と労力がかかりますが、感覚的に判断できるようになるとスピーディーで労力がかかりません。
エネルギーを使うべきは、判断することではなくその後の行動過程ですので、判断は素早くして実行に移すのが楽でスムーズな生き方につながって行くように感じています。

では、感覚的に決断するためにはどうしたらよいのか?
まずは、自分の感覚(感性や心の声)に信頼が無いと感覚的な判断はできないなと感じています。
そして、自分の中に判断するブレない軸があることも必要ではないかと思います。
そこができたら、後は感覚的に決めることを実行してゆくことで徐々にその精度は高まってゆきます。

私が感覚的判断をするようになったのは、どの判断や道を選んでも結局は正しいことにつながってゆくという、何の保証もない確信が持てるようになつたからです。
起こったことはすべて引き受ける覚悟があれば何を選んでも大丈夫だし、信頼する自分の心の声に従った判断は、いったんは間違ったように見えても長い目で見たら結局間違っていないということになるからです。(経験からそう思います)

そして、どんな選択をしても、紆余曲折があったとしても、最後は自分が求める一本の道につながってゆくのだと思っています。」

真 地球の歴史 について

足立育朗先生の「波動の法則」はあまりにも有名ですが、2009年に波動の法則の続編として「真 地球の歴史」を出されています。足立先生が宇宙から観じて得た情報を、自分の自我による解釈を加えないでそのまま報告書として出されています。

この本の内容に関しても私は、真偽のほどはどうかなどと考えることもなく素直に自分の中に入ってきたのですが、客観的にみるとあまりにも現代地球文化からかけ離れている内容なので、今一度丁寧に読んでブログにまとめていこうと思います。自分も同じようになるべく自分の自我による都合のよい解釈を加えずに書きたいと思います。

まず、現在の地球では、宇宙の始まりはビッグバンがあった150~200億年前から始まっているという説が定説となっていますが、実際には宇宙の時空元の始まりとなった12回目のビッグバンを最後として、544億年以上が経過しているということです。

原子核の元になる中性子と陽子は最初のビッグバンよりさらにずっと前に発生しており、それが1.82✖️1030年前に消滅することにより新たな物質を誕生させて、それが最初のビッグバンだということです。そもそもビッグバンは、現代地球文化では宇宙が膨張する元になった大爆発と捉えられていますが、足立先生が得た情報では、ビッグバンとは、究極の意識と意志であるEHKOのEXA PIECO(原子核の集合体)のテレポーテーション(時空元移動)であるとのことです。
遡って、EHKOのEXA PICOがどのようにして発生したのかについて、次回述べたいと思います。

「アナスタシア」より〜ダーチャとダーチュニク

前回「アナスタシア」の紹介をしましたが、その中でアナスタシアが「ダーチャとダーチュニク」について語ったところを紹介したいとおもいます。

(ダーチャ=手作りの家と菜園のある郊外の別荘。ダーチャの所有者はダーチュニクと呼ばれ、ロシア人の6割を占めると言われる。)

 

アナスタシア:

「今あなたが住んでいる社会は、ダーチャで育てられている植物と交信することで、多くを学べる。それにまず気づいてほしい。ただあくまでもそれは、育てている人が植物を熟知しているダーチャだからできる事。愚かなモンスターのような機械が這い回っている人間味のない広大な畑では無理。」

「ダーチャの菜園で土いじりをするととても気分が良くなって、そのおかげで多くの人が健康になり長生きしてきたし、心も穏やかになる。技術優先主義で突き進む道がいかに破滅的かを社会に納得させる、その手助けをするのがダーチュニク。」

「地球上のすべてのものは、草の葉一枚、昆虫一匹にしても人間のために創られていて、人間に仕える中でのそれぞれの役割と目的をもっている。でもあなたがたは、自分の健康と幸福のために与えられているこれだけの素晴らしいものについて、ほとんど何も知らない。だから、それを十分に活用できていない」

「種は莫大な量の宇宙からの情報を持っている」

 

アナスタシアのいう、植物や昆虫、動物との、真の交流が、人間の心身を健全にするといったことは、全てのものに意識と意思があると情報を得た足立先生の情報と変わるところがありません。 

足立先生は、虫害(野菜に虫がついて食べてしまう現象)についても、たべられるような野菜は人間が食べるような良いエネルギーを有していないため、虫が(まるで人間が食べるのを前もって防ぐために)その野菜を食べてしまうのだとおっしゃっていました。アナスタシアも、みんなに嫌われているゴキブリさえも、陰で腐ったもの、かびているものを食べて、害のない排泄物を人間の目につかないところで出していると話しています。

また、植物の種のかたちが、足立先生が情報を得たところの陽子の形状に相似であることも、種というものがいかに宇宙の情報を純粋に表現したものであるかを感じる事ができます。

 

家庭菜園の底力

前回のブログに綴りましたように、私は今まで全く縁のなかった野菜作りに向けて、よちよち歩きを始めたばかりなのですが、農作業を教えてくださる農園の方は、決して肥沃ではない土地を相手に随分と苦労もなさったようでした。(今もさまざまな工夫を重ねておられます)
やはり職業としての農業に従事する、農業で収益をあげようと思うと、単位面積あたりの収穫量も気になりますし、自然栽培をされている方の悩みどころかと思います。

少し前にウラジーミル メグレ氏の著作「アナスタシア」シリーズの邦訳されたものを読んだのですが、その中で特に心に残った箇所があります。
タイガに住む、地球人として最も高次元の能力を持つ女性であるアナスタシアが、いつも遠くから応援していたのが、ロシアにたくさんいるダーチュニク(週末家庭菜園をしている人達 )でした。
平日は普通に仕事をして、週末は自分の家庭菜園で野菜や果物を作り、自給自足とまではいかなくても、楽しみながら家族ぐるみで自然と交流し、それなりの食糧を自己生産できるという習慣が、激動のロシアの歴史の陰で大きな下支えになっていたとのことです。

アナスタシアは、これからのロシアを、さらにロシアを越えて全世界を愛と調和に満ちた世界にして行くための現実的な取り組みとして、希望者には一家族あたり一ヘクタールの土地を分配し、無期限で貸与し、一族の土地として果樹園や家庭菜園を作り自然の恵を享受しながら代々その土地で物心両面で豊かな暮らしを育むというアイデアでした。 

メグレ氏による後日談では、政府に掛け合い提案を続けた結果、大統領に認められ、実際に一部の地域で土地の無償貸与が実現しているように書かれていました。
通常日本や西側のメディアに触れているだけではわからない、ロシアの懐の大きさを垣間見た気がしました。

私は、都会への人口集中、耕作放棄地の増加、食物の供給を海外に頼るといった日本の実情を考えるにつけ、日本でも同じような目標を掲げて、家庭菜園のための土地の貸与のようなシステムを作れたならば、どんなにか将来に希望を持てる若いファミリーが増えることかと思います。

無農薬栽培の農園さんにて

前述のように、医師としての仕事をしていた時は時間的余裕が全くなく、消費者オンリーの立場だったところを、仕事の整理をつけてより自然との交流を図っているのですが、最近家の近くに無農薬で野菜や果物を作っている農園さんがあるのを知り、お手伝いに行きだしました。
たまたま気候のよい10月から始めたのでまだ厳しさが体感できていませんが、自然の中で作業しているとやはり気持ちよく、芋虫カエルカメムシなどとも、なるべく作物を分け合う意識で交流しています。

農園主さんはサラリーマン家庭出身で、ご自分も食品会社勤めだったそうですが、奥さんの実家が農業でしばしば手伝っていたこと、もともと植物が好きだったこともあり、農業従事者となり、色々な経験を経て無農薬で頑張ろうと農園を開き今に至ります。植物の気持ちがわかると言っておられます。

なぜ無農薬なのか。それは土の中の微生物の働きが健康で生命力のある作物を育て、食べた人や昆虫、鳥の自然な命のサイクルを促し、真の意味で健康な状態を作るからなのです。農業をやっている方はたとえ慣行栽培をやっているにしても、そのような自然のサイクルに触れ、向き合っておられ、足立先生のフゲーエキンさんを無意識に認知してその恩恵を感じておられるのだと思いますが、実際の収益面、システム面などのしがらみにより、大きく無農薬、無肥料栽培に舵を切る事がむずかしいのだと思います。

 また足立先生の体験談からの抜粋になってしまいますが、自らの経験を交えておっしゃるには、直感で、こうした方が本当はいいんだと思う事があったら、直感は損得では出てこないので、思い切って行動に移すと、ああもうダメだというような状況になっても不思議と時空が味方をしてくれて、何とかなるのだと。お金がなくてこのままでは消滅してしまうかに見えても、偶然のようにみえる他からのサポートがあったり、味方をしてくれる人が現れたりして維持できてしまうのだと、言っておられました。

 私も、大きな自然のサイクルの一部として、人間として生まれてきて、自分自身になる事以上に、やることはないという言葉のように生きていきたいと願っています。

農業の未来

近代の多方面における科学技術の発展は目覚ましく、食の分野では、農業の近代化に伴い、四季を通して生鮮食料品の安定供給が可能となり、少なくとも日本では、飢餓で無くなる人もいなくなりました。食糧の生産性の向上は農薬と化学肥料の使用なくしては成立しませんでした。

一方で農薬による地球環境の汚染、現代地球文化では認知されていない微生物・フゲーエキンさんの致命的なまでの減少、それによる自然の循環の仕組みのくずれが起こり、全生命に深刻なダメージをもたらしています。

 

農業という生業からみた面においては、老齢化による農業従事者の減少にともなう耕作放棄地の増加、大規模農業への集約化(まずまずオートメーション化、肥料農薬に頼らざるを得ない状況の加速)があります。自然の変化(気候変動)の影響を最小限に抑えて作物を安定して作るためには、流通管理も含め慣行農業を進めていくことは疑いなく必要であるとの認識のもとシステムが進んできてしまいましたが、その弊害に気づいて、自然に感謝して自然の力を借りて農業をやっていこうと試みる人も増えてきていると思います。

自然の仕組みをよく理解し、自然に協力いただいて人間にとっても本当の意味で命の滋養になるような作物を作る。そして喜んで身近な地域の人に食べていただくという事が農業の喜びの一つのエンドポイントになると思われますが、そのような意識を保って仕事を続けていくことの難しさというものも大きいと思います。

 

なぜなら仕事をするなら儲けたい、収入も多い方がいいという考えで世の中は回っているからです。だから同じ面積で作るなら早く、大きく、たくさん作りたいというのが人情です。地球上ではお金至上主義になっていますが、足立先生によると、宇宙語でエネルギーのことを「MUNNY=ムニー」というそうです。お金は一つのエネルギーに過ぎないところを、地球ではそればかりを追い求める低い振動波になってしまっているということです。

 

とはいえ、新しい時代の申し子たちがそのことに気づいて、それぞれ小さいながらも活気のある、お互いの信頼と愛に支えられたコミュニティーを、農業を軸として作っていき、それがあちこちにひろがっていく日が来るのはそう遠くないと、私は感じています。

 

自然の仕組みに適った農業(自分のこと)

今日は私自身の現状について少し書きたいと思います。

私は昨年まで小さな婦人科クリニックの院長兼経営者として仕事をしていましたが、
色々なものとの豊かな真の交流ができるようになりたいと願い、ついにクリニックを譲渡しました。クリニックを去る時には、クリニックの建物のEXA PIECO さんや、超音波装置のEXA PIECO さんに感謝の意を伝えて出てきました。

それからはまず、人間との関わりの深い、そして人間の都合の良いように捻じ曲げられながらもなお強靭でおおらかな植物の一つとして「茶の木」を題材に選び、茶の木から作られる日本茶について勉強をしました。
そこでは、農薬や肥料の過剰投与の問題、日本人の日本茶消費量の低迷の問題、お茶農家さん存続危機の問題などについて学びました。

日本茶の色々な勉強の傍ら、自然栽培のお茶を作り事業としても成立させている稀有な農家さんのところへ手伝いがてら見学に行ったり、実際に自然栽培のお茶をいろいろ購入して飲んでみたり、
現在は近所で無農薬農業をやっているところへお手伝いにいきながら経営者の方にお話を伺うような生活をしています。
その他自然に、気の赴くままに、歩いたり、歌を歌ったり、孫娘(まだ赤ちゃん)と遊んだり、しています。

私は今まで農業はおろか、自然というものにほとほと縁遠い生活をしてきました。
受験戦争に身を投じ、職業訓練校のような医大で青春時代を過ごし、結婚出産育児という「自然現象」には恵まれながらも目の前の課題を必死になってやり続ける生活の連続でした。時間的にも精神的にも余裕のなさを感じながらも、家族、患者さん、スタッフその他周囲の方々にはできる限りの誠意を尽くしてきたつもりです。

医者という職業は本当に魅力的な職業です。人の命を救い、健康を守るという大義名分が明確であり、責任重大ですがその分やりがいがあり、患者さんにもよくお礼を言われます。そして社会的にも経済的にもトップクラスの地位を誇れます。

なので、盛業中のクリニックを手放した時には多分に変人とみられていたと思います。
普通はなかなか手放せないです。
私の場合はおそらく父の影響で、医師という職業と自分自身の間のアイデンティティが癒着しておらず、「医師」という役割を、(おそらくは一時的に)演じているにすぎないと、心のどこかでずっと感じてきたからだと思います。