自然の仕組みに適った農業(自分のこと)

今日は私自身の現状について少し書きたいと思います。

私は昨年まで小さな婦人科クリニックの院長兼経営者として仕事をしていましたが、
色々なものとの豊かな真の交流ができるようになりたいと願い、ついにクリニックを譲渡しました。クリニックを去る時には、クリニックの建物のEXA PIECO さんや、超音波装置のEXA PIECO さんに感謝の意を伝えて出てきました。

それからはまず、人間との関わりの深い、そして人間の都合の良いように捻じ曲げられながらもなお強靭でおおらかな植物の一つとして「茶の木」を題材に選び、茶の木から作られる日本茶について勉強をしました。
そこでは、農薬や肥料の過剰投与の問題、日本人の日本茶消費量の低迷の問題、お茶農家さん存続危機の問題などについて学びました。

日本茶の色々な勉強の傍ら、自然栽培のお茶を作り事業としても成立させている稀有な農家さんのところへ手伝いがてら見学に行ったり、実際に自然栽培のお茶をいろいろ購入して飲んでみたり、
現在は近所で無農薬農業をやっているところへお手伝いにいきながら経営者の方にお話を伺うような生活をしています。
その他自然に、気の赴くままに、歩いたり、歌を歌ったり、孫娘(まだ赤ちゃん)と遊んだり、しています。

私は今まで農業はおろか、自然というものにほとほと縁遠い生活をしてきました。
受験戦争に身を投じ、職業訓練校のような医大で青春時代を過ごし、結婚出産育児という「自然現象」には恵まれながらも目の前の課題を必死になってやり続ける生活の連続でした。時間的にも精神的にも余裕のなさを感じながらも、家族、患者さん、スタッフその他周囲の方々にはできる限りの誠意を尽くしてきたつもりです。

医者という職業は本当に魅力的な職業です。人の命を救い、健康を守るという大義名分が明確であり、責任重大ですがその分やりがいがあり、患者さんにもよくお礼を言われます。そして社会的にも経済的にもトップクラスの地位を誇れます。

なので、盛業中のクリニックを手放した時には多分に変人とみられていたと思います。
普通はなかなか手放せないです。
私の場合はおそらく父の影響で、医師という職業と自分自身の間のアイデンティティが癒着しておらず、「医師」という役割を、(おそらくは一時的に)演じているにすぎないと、心のどこかでずっと感じてきたからだと思います。